日本人が外国語を学ぶ意味。第二外国語を習うモチベーションはどこから??
はじめまして!
早速私の自己紹介…と、いきたいところですが、その前に。
皆さんは、次の概念を知っていますか?
【差異の体系】
私達は言葉の網の目を通して物を見ているのだ。
- Ferdinand de Saussure
スイスの言語学者ソシュールは、言語を”差異の体系”として説きました。言葉はその言葉1つが単体で成り立っているわけではなく、その周りに違いがある言葉が存在していて初めてその意味を成している、ということです。
高校生の時に読んだ、丸山圭三郎さんは(フランス語学者・哲学者) 著書『ソシュールの思想』で、フランスでは蛾も蝶も“パピヨン”と呼んでいる、という具体例が挙げています。
日本社会で生きる私たちは、一般的に、蝶は「色鮮やか」「綺麗」「美しい」などプラスなイメージを描くことが多いです。一方で、蛾という単語を耳にしただけでも顔を歪める方もいるように、「地味」「気持ち悪い」などとマイナスなイメージを持つことが多いです。
しかし、フランス語には、蝶と蛾を表す単語は [papillon](パピヨン) のみ。
つまり、フランス人にとっては蝶も蛾どちらも、羽の4枚生えた虫の一種、という認識なのです。
日本語が、蝶と蛾の区別ががある言語だからこそ、
日本人は蝶と蛾を区別することが出来るのです。
初めて聞いたときは頭に???ばかり浮かんでいました。笑
なぜこの概念を紹介したのか。それは、これこそが、
外国語を学ぶ面白さの1つの大きなポイント!!だから。
「母語というものは恐ろしいもので、無意識にまで入り込んでいるので、自分が考える以上に言語に支配されている」(斉藤孝,『世界の見方が変わる50の概念』p51より引用)
その言語の背景にある歴史と文化が、それぞれ固有の価値観を生み出し、それぞれが異なる方法で世界の分節化を行っているのです。
私たちは、日本語しか話せない場合、
“日本語”という網目の中でしか世界を認識することが出来ません。蝶と蛾はどう見てもちがうものにしか見えません。フランス人に、どんなに同じパピヨンじゃないかと熱弁されても納得するわけにはいかないのです。
それが、もし英語が、中国語が、フランス語や、スペイン語が話せたら??
それぞれの言語が持つ特有の価値観で世界を見ることが出来るのです。日本語が持つ価値観から一歩飛び出した、より広い視野で世界を見ることが出来るのです。
これって、とってもワクワクしませんか??
同時に、もし日本語しか話せなかったらどうなるんだろうって思いませんか?
日本語の網目の外側にある世界を認知できないまま死んでいくなんて、少なくとも私は、耐えられないです。もちろん、歴史も文化も含めて日本が一番大好きです。笑
島国を飛び出して、もっと、もっと広い世界が見たい!
これが、私が語学を学ぶ際の一番大きなモチベーションになっています。
集中して学ぶ言語こそ違いますが、高校生の時も、大学生になった今も変わりません。
前置きがとっても長くなってしまいましたが、
次回からは自己紹介も含め、中国留学の今をどんどん発信していきます!
お楽しみに!再见~