【ワセジョの北京探検記】マルコポーロ橋、またの名を、”盧溝橋”。
北京市街から西南に20km、永定河の上に、この橋は掛かっています。
北京市に現存する最古の石造アーチ橋で、
中国三大著名古橋 の一つにも数えられているほどの有名な橋。
あまりの美しさに “世界で唯一無二の美しさ”だと絶賛。
『東方見聞録』にも登場するこの橋は、西洋ではマルコポーロブリッジとも呼ばれています。
盧溝橋は全て白石で造られており、全長266.5m、幅9.3m、11個のアーチで構成されています。両脇の欄干には、それぞれ形と大きさの異なる石獅子が485匹彫られています。精美なこの獅子の彫刻は、中国の貴重な芸術品でもあり、「盧溝橋」が有名になった理由の一つにもなっています。
この橋から見た暁の月は、それはそれは美しいのだと古来言い伝えられてきました。
それを「盧溝暁月」と言い、「燕京八景」(金王朝の章宗が選んだ8大名勝)の1つに数えられているそうです。
http://www.tanken.com/rokokyo.htmlより引用
● 盧溝橋 の歴史 ●
金時代大定29年(1189年)から建造を始め、3年後の1192年に完成。元・盧溝河(現在は永定河)を跨いでいることから”盧溝橋”の名が付けられました。当時は江南地方へ向かうときには必ず通る橋として、見送る人々がこの橋で別れを惜しんだと伝えられています。なんだか切ないですね( ;∀;)
さて、前置きが長くなってしまいましたが、
高校で世界史を選択した方、特に大学受験を経験した学生なら“盧溝橋”という単語を目にしただけで、日中戦争開戦という負のイメージを連想してしまいます。
1937年の盧溝橋事件、私も近代史で暗記しました。。。
● 盧溝橋事件とは ●
1937年7月7日夜,中国,北京南西郊の盧溝橋付近で,演習中の華北駐屯日本軍一木大隊の中隊に対して十数発の射撃がなされたことを契機に,日本軍と冀察政権 (政務委員会) 第 29軍との衝突に発展した事件。日中戦争の発端となった。中国では「七七事件」として知られる。同 28日の北京,天津総攻撃の開始をもって全面的な戦争に突入した。中国側ではこれを契機に第2次国共合作が始まり,抗日の機運が高まった。
ブリタニカ国際大百科事典より引用。
盧溝橋というのは北京の入口なので、実は、昔から度々戦いの舞台になってきました。
清朝末期の義和団事件(外国排斥運動)では大きな破壊を受け、1900年6月21日、清朝が列強に宣戦布告して以降、日本を含む8カ国は連合軍を送って北京を占領し、中国を半植民地化させた始まりの地でもあります。また1922年には、直隷派と奉天派という中国の軍閥同士が、盧溝橋を境にして武力衝突が起こりました。
中国大陸における抗日運動の中心地の一つ、
盧溝橋に行くこと自体に抵抗が無かったわけでは無いのですが、
勉強の方もようやく落ち着いたので、今回は思い切って郊外まで足を延ばしてみました。
実際に、盧溝橋に行ってみると、
天気とタイミングに恵まれたことも相まって、
とっても綺麗な石橋と夕日のコラボレーションを目にすることが出来ました。
冬季限定ですが、凍った川が天然のスケートリンクに大変身!
盧溝橋の真下まで歩いて行けちゃいます。更に、歴史資料集には絶対載っていない、盧溝橋の裏側まで見ることが出来るんです!
冬限定のこの光景、、日本人で盧溝橋の橋の裏側まで見たことがある人って、一体どれくらいいるのでしょうか??なかなかにレアな体験。。
中国では抗日・愛国主義の教育基地に。日本では日中戦争の発端に。
こんなにも綺麗な景色が、必ずと言っていいほど、両国で戦争の悲劇を連想させられてしまうことが悲しく思います。
盧溝橋の入口でチケットを購入※して敷地に入るのですが、
所々に戦争の苦難を表現した石碑や銅像が立っています。
※ 学生証の提示で半額(10元)での購入が可能。
石碑の記述は、殆どが盧溝橋建設や修復の変遷に関してであり、
抗日や中国人の愛国心を煽るような過激な内容は書かれていませんでした。
何故か、中国語・英語・日本語・ロシア語の4か国語で書かれてるものも。
案内板は日本語と併記されているのが印象的でした。(日本人そんなに来るのかな...??)
課外学習で先生に連れられた小中学生が、橋を観終わった後に中国人民抗日戦争歴史館を回るのがお決まりのパターンらしいです。
閉館が16:00と早いので注意!既に閉まっていて入れませんでした...
(↓ 長いので読み飛ばしてください)
これは、国際関係学を専攻している一学生としての、私の個人的な意見ですが、
愛国心 ≠ 抗日 です。Patriotisism ≠ Antialienism
愛国心を持つことは国家の存続に極めて重要な要素であり、それ自体は何もネガティブな影響を与えるものではありません。しかし、国内での国民意識の統合を強化するツールとして、国外に「敵」の存在を作り上げて、「悪」は外にあるように目を向けさせ、無理やりにでも愛国精神と結び付けることは、政治戦略の一種にすぎません。国外の敵と、国内の敵、どちらも国民にとって脅威となり得ることに、変わりはありません。真の意味で、国を愛しているなら、海外に目を向けさせる必要なんて、、ありませんよね。歴史を無かったことには出来ませんが、その歴史を現在・そして未来の場まで持ち込むことは果たして建設的なと言えるのでしょうか。。日本も日本で、それらに対抗し、国民意識を故意に煽るような政治的行動を政府が進めていくのは、国家として賢い判断とは、、捉えるのは難しいですよね。。。
※ 個人的な意見であり、個人の政治的な思想及び信条を否定する意図は一切ございません。
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今までの記事では、殆ど日本と中国の歴史問題について触れてきませんでしたが、やはり避けては通ることは出来ない、日中間の“戦争”トピック。
今回は、思い切って、盧溝橋に行った際に感じたことを記事にしてみました。
ナイーブで触れにくい話題だからこそ、出来る限り、中立な立場で、物事を見る。戦争を経験していない世代だからこそ、より客観的に、一歩離れて過去の”歴史”を眺めてみることが出来る、、かもしれませんね。
◎おまけ◎
ちなみに、盧溝橋の敷地内では、何故かダチョウとキジが2匹ずつ飼われています。
こんな至近距離でダチョウが動くのを見られるのは滅多にない...… てか、デカイ!!
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盧溝橋
・住所:北京市豊台区宛平城
・電話番号:010-8389-2895
・開放時間:6:00~19:00 休日なし
・交通:バス313、309、339路「盧溝橋」で下車